折り紙

考えることをやめるために、去年の暮れだったか今年の初めくらいから、羊毛フェルトを始めてみた。何匹かの動物を作って、それはそれで可愛く作れたのだけれど、結局しばらく間が空いてしまった。

それでも、作業療法の一環として、手を使うというのはいいことだと思うので、何かしたいなと思っていたときに、紙を折る単純作業が意外と面白いことに気づいた。集中できるし、苦でもなく、また綺麗に折れたら達成感もある。

紙を折るというのは、なんだか布や毛などよりも確らしさがあるように感じるし、道具を使うよりも手を直接使ったほうがやりやすいかもしれないと思ったので、先日ふと折り紙をやってみようと思い立った。せっかくだから和紙で鶴を作ってみようと、和紙の折り紙を買った。

折り紙自体、小学校以来で、鶴の作り方もすっかり忘れていた。YouTubeで解説を見ながら、鶴を折った。折っているときに、こうして手で何かを作るにあたって、なんとなく疲れたりうまくいかなくて苛立ったりというイメージがあり、てっきり不器用だと思っていたのだけれど、手作業そのものはそれほど苦ではなかった。しんどかったのは、作り方の説明書を見て理解することだった。

羊毛フェルトのときも、針でツンツンしている時間は落ち着くものの、作り方の解説書がどこがどうなっているのかよくわからなくなっていた。その分がごっちゃになって、自分はすごく不器用なんだと思い込んでいたのかもしれない。

そんなわけで、鶴の作り方も覚えたので、ただただ単純作業として、鶴を折っている。今朝で八羽目の鶴が生まれた。