朝色々と作業。昼に少しだけオードリーのラジオを聴いた。若林さんがラジオで、子育てについての話をしていた。保育園に通う若林さんの幼い娘が、順番や物をとられることが多いと知って、なんて声をかけたらいいか考えたときに、「取り返しなさいというのも違うし、諦めなさいというのも違うし......“自分”に出会うなぁ、あれ」とこぼしていた。シンプルな言い回しだけど、子どもと向き合って伝えたいことを真剣に考えたときに、自分に出会う、という表現がいいなと思った。我が子が育って自分に似ているから自分に出会うのではなくて、なにを伝えたいか、残したいか、という点で、自分に出会うのだな、と思った。それから、自分の若手の頃の話題になり、当時先輩で後輩らのおいしい部分をとってまで自分が前に出ようとしていた人たちは、結局その後そういう人生になっていったし、大変なときに誰も助けてくれなかった、という話も春日さんとしていた。
自分ということで言えば、先日精神科医の名越さんがSNSで呟いていた言葉もよかった。「最後に残る言葉は、自分に戻れ、だ。苦しんでいる時、何者かになろうとしている。」何者かになろうとしているとき、確かに苦しいなと思った。なんならいつもこの手の落とし穴にはまりこむ。なんで何者かになろうとするかと言ったら、自分だと不安だからで、慕われていたり、人気のあるような、「何者か」になろうとして、結局居心地が悪くなる。いよいよ本当に自分のことが嫌いになる。それなら最初から、より自分であったほうがいい。最後に残る言葉は、「自分に戻れ」だというのは、つくづく真理だなと思う。
外は金木犀が満開で、香りが漂っていた。公園にある大きな木の葉がほんのり色づいていた。