若林さんと子育て

朝色々と作業。昼に少しだけオードリーのラジオを聴いた。若林さんがラジオで、子育てについての話をしていた。保育園に通う若林さんの幼い娘が、順番や物をとられることが多いと知って、なんて声をかけたらいいか考えたときに、「取り返しなさいというのも違うし、諦めなさいというのも違うし......“自分”に出会うなぁ、あれ」とこぼしていた。シンプルな言い回しだけど、子どもと向き合って伝えたいことを真剣に考えたときに、自分に出会う、という表現がいいなと思った。我が子が育って自分に似ているから自分に出会うのではなくて、なにを伝えたいか、残したいか、という点で、自分に出会うのだな、と思った。それから、自分の若手の頃の話題になり、当時先輩で後輩らのおいしい部分をとってまで自分が前に出ようとしていた人たちは、結局その後そういう人生になっていったし、大変なときに誰も助けてくれなかった、という話も春日さんとしていた。

自分ということで言えば、先日精神科医の名越さんがSNSで呟いていた言葉もよかった。「最後に残る言葉は、自分に戻れ、だ。苦しんでいる時、何者かになろうとしている。」何者かになろうとしているとき、確かに苦しいなと思った。なんならいつもこの手の落とし穴にはまりこむ。なんで何者かになろうとするかと言ったら、自分だと不安だからで、慕われていたり、人気のあるような、「何者か」になろうとして、結局居心地が悪くなる。いよいよ本当に自分のことが嫌いになる。それなら最初から、より自分であったほうがいい。最後に残る言葉は、「自分に戻れ」だというのは、つくづく真理だなと思う。

外は金木犀が満開で、香りが漂っていた。公園にある大きな木の葉がほんのり色づいていた。

本の整理

今日は本の整理を頑張った。まだ途中だけど、案外整理すればスペースは生まれるものだなと思った。運動は休み。片づけで疲れ切ってる。

この二ヶ月くらいはよくラランドのYouTubeを観てる。昔のものまで遡って観るのは珍しい。二人、というより、スタッフも含めたチームの空気感が好きなんだと思う。ああいう空気や、仲間でやることに憧れもある。芸人さんのYouTubeで「スノーデン 」という単語が出てきたのには驚いた。

父親の誕生日、無難にお酒にしようと思う。

 

チ。

校舎が崩れそうになる夢。誰かが教室の前にある大きな鏡に飛び込み、この鏡が神聖なものであることから校舎がぐらぐらと揺れ出した。慌てて外に飛び出すと、周囲にそびえたつ校舎の壁が今にも剥がれ落ち、建物ごと崩れ落ちてきそうなほどに揺れていたので、その揺れ動く校舎と校舎の間を必死に逃げて、敷地の外に飛び出した。そこで夢から覚めた。やっぱり心細かった。

昨日、アニメ版の『チ。』を観た。漫画は読んだことがなくて、アニメもまだ二話ほどしか放送されていないけど、面白かった。あれくらい、世界の常識がひっくり返ることが、今起こってもなんの不思議もない。

それから、天文学を学ぶ主人公が星空への憧れのようなものを抱いているシーンが、ちょうど最近、昔の日本であまり星への憧れがなかったように見える(浮世絵や和歌などにほとんど取り上げられていない)ことと、対照的な気がして興味深かった。

夜のブランコ

ある公園の近くを夜に通ったら、ときどき誰かが思いっきりブランコをこいでいる。ギーコ、ギーコ、と激しく揺れる影が見える。しかも一人でこいでいる。そんなに大きな公園でもないし、人通りも少ない場所だから、そのときも、公園内には、そのブランコに乗っている人しかいなかった。

大人になって一人でブランコに乗りたい感覚はわかる。子供の頃に遊んでいたことを、今も変わらずやっていたくなる。僕自身もそうだし、案外そんな人も多いと思う。でも、ブランコを勢いよく、となったら、日中はちょっと恥ずかしい。平日仕事をしていたら、休日の昼の公園は家族連れも多く、とてもじゃないけど大人が一人で思いっきり、というのはできない。それに仕事のストレス発散の意味もあるだろうから、そういった理由もあって、平日夜の目立たない小さな公園、というのが選ばれたんだろう。

東京の小さな公園で、大人が一人で夜に思いっきりブランコをこいでいる光景は、一見すると怖さもあるものの、俯瞰で見ると哀愁も漂っていた。

課題

僕の課題は、まずは頭を休めること。心の向き合わなければいけないものを、頭を使い続けたり、なにか情報に触れることで、蓋をし続けている。休んで、心が悲しむままに悲しみ直すこと。それから、自分のできる範囲で運動すること。少し歩いたり、筋トレもちょっとずつしようと思う。